雑誌で僕が書いた記事を読んだ人に、「山本さんの文章は、さらっと読みやすいですね」と言われることがある。もちろん、そうほめてもらえるのはうれしいし、悪い気はしないのだが、反面、ちょっと複雑な気持にもなる。きっとこの人は、僕が何の苦労もなく、最初からすらすらと「さらっと読みやすい文章」を書ける人間だと思っているのだろうな、と。
出版の世界に飛び込んだばかりの頃の僕の文章は、今思うと、本当にひどいものだった。技術的に未熟なだけでなく、感情を抑制することもせず、言いたいことをそのままぶちまけ、見せかけだけのレトリックに走り‥‥要するに、僕のねじくれた性格そのままの(笑)、独りよがりの文章だった。自分のブログに書くならともかく、文章自体を商品として買ってもらえるレベルには、程遠いものだった。
そうかといって、文章の書き方を教えてくれる人なんて、周囲には誰もいない。だから、自分で自分を鍛えるしかない。一本々々が真剣勝負の取材の場で、何度も試行錯誤をくりかえしながら、僕は僕なりの文章の書き方を探し続けた。構成、文体、リズム、言い回し、語尾‥‥。それこそ、読点一つの打ちどころにまでこだわって。
ありとあらゆる文章を書いた。超売れっ子のアートディレクターにインタビューしたこともあれば、ISDNとADSLと光ファイバの比較記事なんてものを書いたこともある。丹誠込めて仕上げた文章をボロカスにけなされるなんてざらだったし、編集者から何の連絡もないまま勝手に原稿をいじくられ、メチャクチャの別物にされてしまったこともある。そんな屈辱にも耐えながら、何百回もの場数を踏んでつかみ取ったのが、今の僕の文章だ。
誰にでもわかりやすい「さらっと読みやすい文章」。それを書くために、僕や同業のライターたちがどれだけの修練を積み、構成に悩み、工夫を凝らし、たった一行に神経をすり減らしているか。別に、いちいちそれをひけらかそうとは思わないし、読者が知る必要もないことなのかもしれない。でもそのために、ライターという職業そのものが「文章書くなんて、誰でもできるんじゃない?」と思われてしまうのは、寂しいことだなと思う。

