初めて触れたパソコンは、Macintosh SE/30だった。学生の頃、旅の資金を稼ぐためにバイトしていた小さな出版社で、企画書や書類を作るために社員の人のSE/30を借りていたのだ。モノクロの9インチモニタが嵌め込まれた、小さな魔法の箱。ワープロくらいしか使ったことがなかった僕にとって、それは強烈な衝撃だった。これがあれば、どんなことでもできるような気がする。僕は社員の人たちにどやされるほど、仕事も忘れてMacに夢中になった。
数年後、僕はMac関連の情報を扱う雑誌の編集部で働くようになっていた。当時のアップルコンピュータは業績が低迷していて、Macの生みの親であるスティーブ・ジョブズが復帰して改革の大鉈をふるっていたものの、楽観的な見通しを持っている人は周りに誰もいなかった。自分もそのうち、あのいけ好かないWindowsを使わなければならなくなるのか‥‥と、僕自身も憂鬱な気分で働いていた。
1998年5月、あの日の朝のことはよく憶えている。
「うわっ、これが新型?」「何だこれ?!」「iMacだって!」「すげえ!」
編集部の誰もが興奮し、サイトに掲載された写真とスペックに釘付けになった。ケーブルにまで半透明素材を使った美しいデザイン。潔く整理されたインターフェイス。ジョブズでなければ、この斬新なコンセプトの製品を世に送り出す勇気は持てなかっただろう。その後しばらくは、編集部もiMac特需でどえらいことになる。僕はジョブズが生み出した小さな魔法の箱(サイズ的にはかなり大きくなっているけど)の底力を、まざまざと見せつけられることになった。
たぐいまれなカリスマとセンスと先見の明を備えている一方、人間的にはちょっとどうなのと言われることも多々ある(苦笑)スティーブ・ジョブズ。でも、彼がいなければ、コンピュータの進化は今よりずっと立ち遅れていただろうし、デザインやクリエイティブの世界も、今よりずっとつまらないことになっていただろう。小さな魔法の箱に人生の転機となるようなきっかけを与えられた人が、世界にどれほどたくさんいることか。それだけではない。iPodだって、iPhoneだって、ジョブズが世に送り出したものだ。そう考えると、彼の存在はとてつもなく大きい。
2005年6月にスタンフォード大学で行われたスピーチの中で、ジョブズは自身が大切にしているモットーとして、「The Whole Earth Catalogue」最終号の裏表紙に載せられていた言葉を紹介していた。
"Stay hungry. Stay foolish."(満足するな。常識を捨てよ)
今年1月のMacworld Conference & Expoの基調講演をジョブズが行わないことが発表された時、ネット上では、昨年から激ヤセしていた彼の健康不安説をめぐって、さまざまな憶測が流れた。本人からは「体重減少はホルモンバランスの崩れによるもので、現在回復中だ」という書簡が発表されたが、そんな発表がわざわざされること自体、彼の動向がアップルの株価だけでなく、世間に大きな影響を与えているということの証明だ。身体に気をつけてほしいとは思うけど、彼にはこれからも頑張ってほしい。スティーブ・ジョブズのいないアップルなんて、つまらない。あの小さな魔法の箱を使うことの喜びを、ずっと感じさせていてほしいと思う。

